棺、あるいは子宮(コインロッカー・ベイビーズ再演によせて)
※コイベビの話とはいえ橋本くんのことしか書いてません。二人称は全部橋本くんのことです。かわいちゃんごめんよ。
橋本くんの舞台の初日まで一ヶ月を切った。
すなわち、2018年の橋本河合両主演舞台コインロッカー・ベイビーズから半年以上が経過してしている計算になる。速い。早すぎる。彼らがどこかで時空を歪ませてしまったんだろうか。赤坂に通ったあの日々がついこの間のことのように感じる。コインロッカーの中のように熱くて暑くて熱かったあの夏、お台場に足繁く通いデジタルライブでエンジョイしたあの夏、ホールの舞台でキラキラ輝くアイドルを追いかけたあの夏、すべてがあの夏に存在していた。夢みたいに楽しくてとにかく楽しくて夢中になって5人を追っていた。一瞬の幻みたいな夏が終わってあっという間にえび座が始まりあっという間に年が明け横アリLBT追加公演も終わり今度は5人出演ドラマを全国13カ所のイオンシネマでやるらしいし河合くんは辰巳くんと舞台中だし橋本くん戸塚くんも舞台が控えている。A.B.C-Zは我々を時空間の狭間で迷子にしてしまう魔法使いか。それとも時計の針を止めちゃう妖精さんか。アラサーの魔法使い集団さん。かわいい。
そしてどうやら今度の自担は舞台であの名優・堤真一さんとタッグを組むらしい。35人の生オーケストラに囲まれて、遠い昔の遠い国のとある独裁国家を舞台にして、思想犯の嫌疑を掛けられる精神病患者の役をやるらしい。で、どうやら彼は自分の脳内にオーケストラを飼っているという設定らしい。さらにビビるのが、共演者に某月9の小手伸也さんやらさいとうゆきさんやらが顔を揃えるらしい。聡明なオタクの皆様はすでにお気づきだろうか?この数行だけですでにツッコミ所が30個くらいあるということに。この頭がパンッパンになる情報量を抱えながらも何事もないような顔をして日常を生きている橋本担の皆様ほんとうにえらい。えらいからキャベツ太郎100袋くらい支給してほしい。私がそのまま橋本くんに横流しする。
いよいよ世界が「橋本良亮に精神病患者の役やらせたらピカイチ」ということに気づき始めてしまったのだろうか?そりゃあ、気付かないほうがおかしいって話なんだけれども。ちなみに公式サイトにはこう綴られている。
この異色作に挑むのは、硬派な役からユーモアたっぷりな個性的な役まで演じ分け、舞台だけでなく映画・テレビと幅広い活躍を続ける堤真一、メインボーカルとしてA.B.C-Zでの音楽活動の一方で、『コインロッカーベイビーズ』等の演技で魅せる俳優としての表現力に注目が集まる橋本良亮が主演を勤める。
『演技で魅せる俳優』と称されていることがたまらなく嬉しい。あのとき、赤坂ACTシアターの客席から見る彼の姿を、私の網膜に映ったこの光景を、そのまま全世界に中継したいと思った。それで、全世界に彼の存在と演技を認めて欲しいと思った。育ての母を失い弟に裏切られ鬼と化してゆく母殺しの男を、狂気を塗りたくった顔でどこまでも堕ちてゆくイカれた男を、自らに憑依させる天才がここにいること。それを証明したかった。
記憶をあの夏に巻き戻そう。
暴力的な日差しが針になって降り注ぐあの夏の日に。
熱いな。熱いね。
秩序の存在しない東京が舞台。死体と残飯と腐敗臭に溢れ、浮浪者と身売りがうろつく並行世界の新宿である。薬物と汚物と生と性と死がコンクリートに染み込み地下の深いところでじっとりと蠢いている、近くてとおい世界の物語。かつてコインロッカーに捨てられた赤ん坊であったキクとハシは、自らが秘めたエネルギーをどこへ昇華するのかーーー。新規えび担である私は2016年の初演時には立ち会えなかったため、再演の報を受けた時は本当に本当に神に感謝した。橋本担として生きていく上で「コインロッカー・ベイビーズ未履修」という経歴を抱えて生きていくにはあまりにもしこりがデカすぎた。それからすぐに近所のビレバンに駆け込み文庫本を買った。想像していたより分厚くてずっしりと重い。毎日数ページずつ、少しずつ読み進める。単語の意味を一粒ずつ噛み砕きその効能を余すことなく吸収せんとつぶさに字を追う。この役を、この台詞を、この作品を、彼が演じるのだ。ダーク、サイエンスフィクション、エログロ、アンダーグラウンド、この世の全ての非道徳を詰め込んだ、この小説を。薄い紙を1ページめくるごとに私の脳は浮浪者に握りつぶされ内臓は赤子の握るティースプーンでいともたやすくぐちゃぐちゃにされた。スターバックスのチャイティーラテを何度か戻しそうになる。苦行だ。活字を追うだけなのにこれ以上ない苦行だ。この文庫本を読むのにどれだけのカロリーを費やしたんだろうか?今ならスタイリッシュで斬新なダイエットメソッドすら生み出せそうである。
初めてそれを目の当たりにしたのは7月14日の土曜日、マチネ公演だったと記憶している。赤坂ACTシアターの二階席に腰を下ろす。駅員、ロッカー、赤子の声、音楽が流れ始める。感情と情報が怒涛のように押し寄せてくる。予習のために読んだコインロッカーベイビーズの新版文庫、かの又吉直樹先生が帯にこう書いていた。「物語が爆音で鳴り続けている」。
腐る肉とヘッドライトと渋滞の山手通りとワニの神様に許された女と世界に見捨てられた二人の男。薄暗い胎内と映像と音と、盗んだ拳銃、盗まれた僕の目玉。失われた乳房と5ミリの舌先。ワニの国の使者、嬰児のまま死んでゆく死者。ケルン条約。吠える犬と心臓の音。ママ。海。壁。ガリバーとミルク。赤い血と緑色の泡を吹く死体。7人。8泊9日。日に日に増える睡眠薬。実母には銃弾を、妻には包丁の切っ先を。海に沈む蝿と空に浮かぶ熱帯魚。ダチュラを飲み込み焼き切れた東京は真っ白に息を吹き返す。
アドリブおふざけシーン一切無し、100パーセント体当たり舞台。絶望とは後ろから追いかけてくるものなのに、彼らの行く先には希望が見えない。橋本くんも河合くんも喉めっちゃ強い。叫ぶ。足掻く。這いつくばってのたうち回る。砂漠に吹き荒ぶ熱風のように客席を飲み込んでいく。キクとハシは莫大なエネルギーを持て余した子供達だったのだ。とにかく二人のエネルギーがすごい。ギラギラとしてメラメラと燃えていて、肉体が熱を放出するのをやめなかった。真っ黒に焼けたアスファルトに全生命を投じて、血を流して、身を削ってお芝居をしている。観客の我々は観ているだけでガリガリにカロリーを消耗しているというのに、彼らは無事でいられるのだろうか?演技力に見蕩れるより前に、もうやめてほしい、などと願ってしまった。君がその役を演じきったら、きっと君はダメになってしまう。そう思っているうちに、二時間が過ぎた。すべてが終わった。彼らが姿を消しても、バックのミュージシャンの演奏は終わらない。しばらく座席に座ってぼんやりしていたように思う。肩に重くのしかかっていた何かがすっと降りた瞬間、溜息が溢れた。語弊があるが、想像していたよりずっと素晴らしい舞台だった。そして、想像していたよりずっと苦しい時間だった。世界が変わるという陳腐なワードが現実になるのならたぶんこんな感覚だ。頭痛がする。心臓が震えて吐き気がする。観劇後、不純物みたいな感情がごうごうと渦巻く私の身体は、灼熱の赤坂の地に放り出された。外気温と睡眠不足で参っていた私は、今思い返せば、熱中症になりかけていたのだと思う。
泣いて叫んで唾を撒き散らして、彼らはキクとハシを生きていた。22日ソワレの橋本くんは口元を唾液で濡らし、28日ソワレの橋本くんは一筋の涙が伝う左頬を光らせていた。やりきったような寂しいような戸惑うような、それでいて清々しさに満ちた二人の表情。白いボトムを纏うキクとハシは、白く脱色された世界で初めて生まれた生命体だった。世界に見捨てられ、コインロッカーという子宮を介して兄弟になったふたりは、犯罪者の王となって新世界の頂点に君臨する。吐き気のするようなハッピーエンドだ。私は何度だって彼らに拍手喝采を浴びせ続ける。もしこれがバッドエンドだったとしても、誰かが首肯するのを拒んだとしても、彼らが向かう先に希望が無いとしても、私は声を枯らしてこの心の震えを彼らに届けなければならない。舞台に立つ彼らが我々にそうしたのと同じように。君は世界一努力家でかっこよくてすごくバカだけど全力で体当たりで見た目に似合わず真面目で器用だけど頭が足りなかったりして、間違いなくこの瞬間君が世界の中心なのだ。君が演じるものが全てだから、私はそれを全力で肯定する。ヒーローを目の前にしたとき、何故人は涙を流すのだろうか?君は夏に生まれたとびっきりチャーミングなヒーローだ。みんなそのことを知っていて知らないふりをしているだけなのだ。だって、こんなに、私の心臓は姿を変えてしまっている。ブラボー!犯罪者の王たちに賛美賞賛拍手喝采を捧げながら、程なくしてコインロッカー・ベイビーズは富山の劇場で幕を下ろした。8月半ば、やはりとびきりに熱い夏の日だった。
私が自らの橋本担歴を二つに分けるとしたらコインロッカー・ベイビーズ以前と以後とに分けられるであろう。そのくらいの衝撃と密度だった。すごかった。私の今までの人生がどこか一片でも橋本くんの演技仕事に引っかかってこなかったことが悔しくて、でも今はそんな後ろめたさよりも、コインロッカー・ベイビーズという舞台に立ち会えたことへの感謝の気持ちが大きい。彼はキクという人間をまるごと飲み込んで自らの肉体をキクとして機能させていたし、日々羽化を繰り返し変身してゆくハシの姿は不気味でひどく美しかった。感情の機微に合わせて肉体ごと変化してゆけるひと。客席からあなたを見つめるのがとても楽しかったです。いつも楽しかったです。だって毎回違うから。顔つきが、表情の動きが、セリフのトーンがいつも違う。役と一緒にリアルタイムでいまを生きているんだ、そういう才能を持っているんだ、この男は。こっちの武者震いが止まらない。キクを演じる橋本くんはクールでどこか凪いでいて、とびっきりの色男。アネモネを助けるシーンもハシとの邂逅シーンも蛇の交尾のように絡み合うラブシーンもずっと優しくてとっても綺麗で、かと思えば長身から繰り出されるアクションや実母の亡骸を前に絶叫する獣のような姿や牢屋の中で世界の破壊と再生を誓う歌声は暴力的で常に炸裂していて、全世界の不幸をぶつけられている感覚に陥る。そして、日々自在に変化するハシは橋本くんそのものであり橋本くんもまたハシであった。むしろ、ハシを完全に自分のものにしちゃったな、という安心感で見ていた。家出しても、ヤク漬けの男とスラム街に住んでても、男に買われて見世物小屋で働いてても、歌手になりたいとか言い出しても、自分を探しにきた兄弟を見捨てても、全部なんとなく許されちゃうんだ。だってハシは橋本くんだから。周囲から愛されて許されるために生まれてきた存在。妖艶に舞い踊り男を誘う甘露と化すハシ。舌を切り落とし暴走するハシ。恍惚の表情で錠剤を貪るハシ。唾を撒き散らしながら音を求めて涙に濡れるハシ。ぼろぼろに壊れて堕ちてゆく姿のなんと儚く愛おしいことか。狂気を身籠もったハシの孤独は、私の腹の中にも空洞を作っていった。彼の演じる孤独は劇物である。
…ここまで勢いで書いてみたものの、感情がとっ散らかっていてよくわからない感じに…。橋本くんったらめちゃくちゃかっこよくてめちゃくちゃ演技が上手くてめちゃくちゃ最高の自担だし最高で最高で最高の舞台だったの!!!と言ってしまえばそれまでのことをのし棒でうすーくうすーく伸ばしていった結果、という感じであろうか。ただ、本当に、これだけは伝えておきたい。舞台に立つ橋本良亮くんはジャニオタの想像を遥かに超えて素晴らしかった、ということを。器用と努力が作用し合って最高の舞台を作ってきたA.B.C-Zの中でも、彼は別ベクトルのバケモノっぽさがあるのかもしれない、と思っている、とか新規がとってつけたような言葉で賛美したところでよくわからないであろう、そして冒頭に話が戻るわけだが、皆さん4月20日(土)から始まる「良い子はみんなご褒美がもらえる」ぜひ足をお運び下さい何卒よろしくお願いします。
コインロッカー・ベイビーズが終わってから、雑誌やブログで橋本くんが度々「俳優になりたい」「モデルになりたい」という願望の数々を口にするようになった。もう、全部正解だ。ぜひとも全部叶えていただきたい。前述したように、橋本くんはお芝居の天才である。それと同時に、日進月歩猛スピードで変化してゆく人でもある。あれがやりたいと言ったらこれがやりたいって言うし、ご機嫌ちゃんかと思ったら急に喋らなくなるし、笑わないクールキャラを気取っていたのに「かわいいって言われることが好きになってきたので♡」とまさかの方向に舵を切ってくるし、冠番組では下ネタを乱発するくせに「粘土を使ってうんこを作れ」というミッションではいちごを塑像したりする。橋本良亮は同じところにとどまらない。それは公転でも自転でもない。たぶんそもそも彼には軸というものが存在しない。コロコロしていてスリリングで危なっかしいけれども愛おしい。姿を変え続ける不安定で未完成なアイドル、しかしそれは裏を返せば無限の可能性を秘めているということ。彼が向かう未来はどこまでも開けていてどこまでも明るいのだと希望を与えてくれる。彼はなんにでも変化できるしなんでもできるしどこへだって行けるのだ。俳優さんにだってモデルさんにだって世界一のアイドルにだってなれる。絶対なれる。
彼はコインロッカーで息耐えたりしない。キクとハシがそこから抜け出したように。彼が閉じ込められているコインロッカーは棺ではなく子宮なのだ。彼はこれから、新しい姿で新しい世界に君臨する。その世界で証明して欲しい。橋本良亮という天才が、いま間違いなくそこに存在しているのだと。
4月からの舞台、楽しみですね!
【早期購入特典あり】Black Sugar(初回限定盤B)(ステッカーシート付き)
- アーティスト: A.B.C-Z
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2019/03/27
- メディア: CD
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光(またはA.B.C座によせて)
A.B.C座ジャニーズ伝説、二公演観て参りました。びっくりするほどネタバレですのでご容赦下さい。
さて、個人的には去年に続き2回目のジャニーズ伝説。去年の夏に橋本良亮くんという存在を知り楽しい浅瀬でキャッキャしてたらいつのまに足を取られズブズブズブアレおかしいな、という感じでファン歴一年ちょっとのえび担です。いろいろと察して下さい。長文を書くタイプのオタクではないので何も愉快なことが書けないのですが、せめて自分の心情をきちんと文章で記録しておけるようにしとかないとそろそろダメになってしまうのでは?年齢も年齢だし…ということでようやっと重い腰を上げはてなブログという面白そうなものに手を伸ばしてみます。アッなんかすごいね導入部感がすごい。
で、初日からレポでえび座やばい二部がやばいこの世のジャニオタ全員見ろみたいなのがツイッターで流れて来まして、いつものコンサートよりも期待度二割り増しでえび座に挑んだ訳ですが、まーーーーー、ね、観たよね?みんな観たよね?すごかった、すごかったんですよ…
ジュニアと絢爛に舞い踊るジャニーズ56年史ノンストップメドレー2幕が至高だったのは言わずもがななのですが、私個人的に各々が他ユニをカバーしたソロ曲がなんかすごい響いてしまって、五関さんのソロ時点でちょっと泣きそうになってた。えびのソロ曲ってキャラソンみたいってみなさん仰るじゃないですか。で、今回はソロ曲といえど他Gのカバーなので重なるところがあんまり無いはずなのに、今回もキャラソンみたいになってた。なにそのシステム。えびちゃんの寄り添い力がすごい2018。
という訳なので、勢いのまま書き上げたソロ曲所感をポエムに乗せてお送りします。長くはないですがすごくぬるぬるしてる文章なのでさくっと読んでやって下さい。